事業のご案内
国際相互理解促進事業報告

 

◆【5】-3北方圏交流新時代―新千歳‐ヘルシンキ線就航に向けて  北海道とフィンランドの様々な交流 3.学術交流

 

≪学術交流≫

 フィンランドの大学と学術連携している北海道の大学は複数存在する。一例をあげると北海道大学が2012年からヘルシンキ大学内に欧州ヘルシンキオフィスを設置し、ヘルシンキ大学、オウル大学、ラップランド大学、アールト大学、トゥルク大学、東フィンランド大学と大学間の連携協定を結んでいる。東海大学札幌キャンパスの国際文化学部地域創造学科は北欧・北方圏研究の専門を置き、ラップランド大学との共同研究を進めてきた。星槎道都大学もラップランド大学と1997年に姉妹校提携を結び交流が盛んだ。そんな中でフィンランドの大学間連携で最も歴史が古く、先駆的な学術交流を進めてきたのは札幌医科大学であろう。

 

 札幌医科大学は様々な国の大学と国際学術協定を結び、国際的に医学の研究を進めてきている。その中でも一番早くに交流協定を結んだのが、ヘルシンキ大学とのもので、その歴史は1975年にさかのぼる。堂垣内知事(当時)が北欧諸国を歴訪した際にヘルシンキ大学と札幌医科大学間での研究者交換など学術交流を進めてゆきたい旨話し合いが行われ、当時のヘルシンキ大学長と意気投合した。知事との話し合いがきっかけとなり1977年に札幌医科大学渡邉左武郎学長がヘルシンキ大学を訪問し、研究者交流に関する確認書をヘルシンキ大学エル・アンスト・パルメン学長と交換。翌年から両校の研究者がそれぞれの大学に相互派遣され始めた。1982年にはより学際的な研究をということでヘルシンキ大学に加え、トゥルク大学、オウル大学、タンペレ大学、クオピオ大学に交流校を広げた。その際に各校と提携を結ぶ方法ではなく、それら大学に国際的な学術交流を目的に資金を助成する財団と札医大が医学交流協定書を取り交わし、各大学との研究者相互派遣を行ってきた。2019年までに札幌医科大学からは41人の研究者をフィンランドに送り込み、ほぼ同数の研究者をフィンランド側から受け入れている。そのカウンターパートとなっている財団が、今回取材したパウロ財団である。

昭和54年に堂垣内知事(当時)よりパウロ財団に贈られた感謝状。(写真提供:パウロ財団)

 パウロ財団はヘルシンキのカタヤノッカという港湾地域でフィンランド独立直後からロシア料理店を営み、海運景気の波に乗り一財を築いた富豪、エストニア出身のレコ・パウロの妻ホゥルダの遺言により設立された、主に医学と芸術を助成する財団組織。現在は年間予算の50㌫を医学に、経済学、芸術にそれぞれ25㌫ずつ配分し、若手の研究者や芸術家の育成を行っている。財団は1986年から40年近くハイエックの法人会員でもあり、今回長年の会員であることを表彰し感謝状をお送りした。

 

札幌医科大学から送られた感謝状も飾られている(写真提供:パウロ財団)

 

 今回の取材でパウロ財団リスト・レンコネン理事長にお話を伺うことができた。パウロ財団理事長職はヘルシンキ大学医学部長が兼任する名誉職で、取材はヘルシンキ郊外の大きなメディカルタウンの一角にあるヘルシンキ大学医学部長室で行った。

 

HIECCからの感謝状を手にするレンコネン理事長

 

―――理事長になられてどのくらい経ちますか?

 レンコネン理事長―1月にヘルシンキ大学学部長になったばかりなので、まだ3カ月しか経っていない。

 

―――ご専門は何ですか?

 レンコネン理事長―糖鎖生物学という領域。一般的には余りなじみがない比較的新しい科学的専門分野だ。新種の薬品開発の基礎になる研究と云えばわかりやすいか。

 

―――ここは医学部研究棟ですが、この区画一帯がヘルシンキ大医学部関連の建物なのですね。学部長室を探すのが大変でした。

 レンコネン理事長―ハハハ。よくここまでたどり着けたね。ヘルシンキ大学は多くの学部が別々のキャンパスに分かれており、ここ医学部があるMeilahtiキャンパスには、大学病院、基礎研究棟、応用研究棟などがある。基礎と臨床をつなぐ研究を戦略的に推進するため研究施設の新設とコアファシリティーの充実化を継続的に行ってきた結果町の一角がメディカルタウンになってしまった。

 

レンコネン学部長室から眺める施設。多くの施設がまだ建設中である。

 

―――今年の初めにヘルシンキ大学の研究者が札幌医科大学にひと月ほど派遣されていたことをお聞きしました。

 レンコネン理事長―Dr. Teppo Variloだね。遺伝性疾患の専門家だ。札幌では遺伝性疾患の地域や国による差異についてFinnish Disease Heritage-a lesson from monogenic diseases in an isolated populationという講演を行ったと聞いている。札幌医科大学とヘルシンキ大を含むフィンランド内の大学医学部で行われている、相互間の研究員派遣事業は非常に有意義な取り組みだと思っている。フィンランドからもこれまでに40人近い研究者が札幌医科大学に研修に行っているはずだ。

 

―――パウロ財団は1986年来のハイエックの法人会員です。長きにわたり会員でいていただき、どうもありがとうございます。

 レンコネン理事長―私も知らなかったが、貴団体とは長いお付き合いになる。恐らくは札幌医科大学とヘルシンキ大学医学部の交流が先に始まり、パウロ財団が医学の研究に助成していたことから、交流自体を後押しすることになったのだろう。パウロ財団はフィンランド人研究員の札幌への渡航費を助成、札幌医科大学は滞在中のフィンランド人研究員の滞在先を確保するという取り決めになっている。札幌医科大学からフィンランドの大学に研究員を受入れる際は、われわれが日本人研究員の滞在費を助成している。当初は大学間で直接派遣していたが、それだとヘルシンキ大学とだけの交流になってしまう。フィンランドの他の大学も札幌医科大学との研究員交流をしたいという声を反映し、財団が札幌医科大学と協定を結ぶ形を取り、財団に登録されている大学と札医大の相互交流を可能にしている。パウロ財団は医学振興が主たる目的の財団であるので、医学研究を行うヘルシンキ大学以外の大学にも助成している。

 

―――形式的で恐縮ですが、長年の会員であることを表彰させていただきまして、感謝状をお持ちしました。

 レンコネン理事長―ハハハ。それは光栄だ。学部長室に飾っておくよ。1979年には堂垣内知事、札幌医科大学学長からもこれまでに何度か感謝状を頂いている。今までHIECCの会員を続けてきたし、これからも長いお付き合いになるだろう。

 

―――パウロ財団の成り立ちを教えてください

 レンコネン理事長―この財団はレコ・パウロの妻ホゥルダの遺言に基づき設立された。パウロは1891年にエストニアで生まれ、後にヘルシンキの港町カタヤノッカにロシア・レストランを始めた。店は大層流行り、パウロとホゥルダは大きな財産を築いた。篤志家であった妻の遺言で、財団が設立され主に医学と芸術振興に基金が有効に活用されている。札幌医科大学との連携は財団の特徴的で歴史的な取り組みの一つだ。

 

―――医学の他では芸術分野を助成しているのですね

 レンコネン理事長―そう。若手芸術家、特に音楽の分野ではいろいろな事業を行っている。最も広く知られている取り組みはパウロ国際チェロコンクールだろう。若手チェロ演奏家の登竜門として知られ、毎年世界中から将来有望のチェリストがヘルシンキに集まってくる。昨年はBrannon Choというアメリカ人が優勝し、彼は最近アメリカのカーネギーホールを満席にさせ話題をさらっていた。

 

―――お忙しいところ、ありがとうございました。

 レンコネン理事長―ありがとう。因みにパウロのレストランはBellevueといって、まだカタヤノッカにある。少々お高いが味はいいので行ってみるといい。

 

アールデコ調の建物一階に店を構えるBellevue

 

 取材当日の夕方にBellevueレストランを訪れた。レストランは観光名所でもある北欧最大のロシア正教会聖堂の裏手にあり、新古典主義建築が立ち並ぶカタヤノッカ地区にある高級住宅街の一角に佇む。店内に入り、仕立ての良い背広姿の男性陣とイブニングドレスに身を包む淑女たちの宴席の横に案内され、ワインとボルシチをオーダーした。薄暗い店内は歴史を感じる調度品で飾られ、重厚感が漂っている。

 ウェイトレスの女性に「ここはパウロ財団のパウロさんがオーナーだったとお聞きしました。パウロさんの写真はありますか?」と尋ねた。スウェット姿の東洋人の珍客に奇異の目を浴びせることもなく、その女性はとても丁寧に対応してくれ「これは3年前に発行されたパウロ財団50周年記念誌です。ここにパウロと妻ホゥルダの写真があるはずだわ」と冊子を手渡してくれた。

 

パウロ財団50周年記念誌

 

記念誌に掲載されたパウロ一族写真。中央がパウロ氏、右横に妻ホゥルダの姿もある。

 

札幌医科大学との交流特集ページ

 

記念誌には札幌医科大学との交流の歴史に2ページが割かれている。

 

財団理事紹介ページ。左端が当時副理事長のレンコネン氏

 

 パウロ財団が自分が所属する団体の長年の会員であることから、先ほどレンコネン理事長に感謝状を届けたことを伝え、少し会話した。女性は「Bellevueは由緒あるレストランで、パウロ財団関係者をはじめ財界、政界のビッグショット(大物)もよく利用すること、日本には行ったことがないけれどヘルシンキで寿司はよく食べ、美味しいと思っていること」など、他愛もない話を聞かせてくれた。

 

多少お値段は張ったが、とてもおいしかったボルシチとワイン

 

 ほどなくテーブルに届いたボルシチは本場の黒パンと小さなピロシキとたっぷりのサワークリームが添えられていた。30年以上会員でいてくれる財団創始者パウロさんに思いを馳せながら、ジョージア(グルジア)のワインと一緒に美味しくいただいた。

 


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